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プラトン『ソクラテスの弁明』を読む

筆者:岡 敦
題名:プラトン『ソクラテスの弁明』を読む(生きるための古典 5)
初出:「日経ビジネスオンライン」2009年11月24日

 

死刑判決

 その昔、ひとりの男が裁判にかけられた。
 彼は哲学者。
 かけられた容疑は次の二つだ。

1・この国の神々を大事にしていない。
2・青年を堕落させている。

 哲学者は無罪を訴えた。いずれも事実と異なる、と。

 また、この告発は自分の哲学への非難であるとして、自己の哲学的実践の正当性を説いた。
 しかし、その主張は聞き入れられない。彼は多くの人に尊敬されていたが、また嫌われてもいたのだ。
 判決が下される。
 有罪。死刑だ。
 裁判からひと月が過ぎたころ、哲学者は刑に処せられた。

 紀元前399年に古代ギリシアの都市国家アテナイで起こった、これが「ソクラテス事件」である。

これは弁明なのか?

 法廷でソクラテスは無実を訴えた。自分が実際に行ってきた哲学的な行為(ソクラテスは本を書かなかったので、行為が彼の哲学の表現である)、その理由、目的、結果を語った。
 それは、弟子プラトンの手で記録され、『ソクラテスの弁明』という題名の哲学書として知られている。

 プラトンが書く哲学書は、戯曲のようなスタイルだ。登場人物たちの対話が繰り広げられるので、それを「対話篇」と呼ぶ。『ソクラテスの弁明』も対話篇だ。被告人が主人公だから、この本には、まるで法廷ドラマの脚本を読むようなおもしろさがある。
 しかし、読んでいると、だんだん妙な感じがしてくる。
 どこか変だ。
 これは、身に覚えのない罪で処刑されそうな男ソクラテスの、最後の公式発言の記録だ。彼は崖っぷちに立たされ、おまけに強風にあおられている。当然、死にものぐるい、悲痛な調子で語られるはずだ。
 ところが、彼の言葉には、そんなトーンはまったくない。彼は余裕を持ち、おそらくは笑みを浮かべて、あるいはいくぶん高飛車に、とうとうと論じているのである。
 そんな語り方をしては敵が増えてしまう。被告人ソクラテスには不利ではないか。なぜ彼は、人々の心に訴えて共感や同情を得ようとしないのか。なぜ、全力で自己弁護しないのか。

反感を買う

 同時代の歴史家クセノポンも、ソクラテスの言動を記録している。それによると、ソクラテスは裁判の前から「老いて生きるよりも死んだほうがよい」と考えていたらしい。つまり彼は、裁判に勝って死刑を免れようと望んではいなかった。だから法廷ではわざわざ反感を買うような口調で論じたのだ。いっそのこと、今すぐ死なせてほしい、と。 クセノポンが書いた「ソクラテスの弁明」には、ソクラテスの言葉がこう記されている。

もし今ぼくに有罪の判決が下されるなら、ぼくがつぎのような生の終わりを迎えることができるのは明らかだからだ。つまり、そのことを司る者たちによっては最も楽な終わり方と判断され、親しい者たちにとっては最も面倒が少なく、また亡くなった者に対する最大の思慕の念を植え付けるような終わり方をね。だって見苦しいことも不快なことも、何一つとしてそばにいる者たちの思い出の中に残すことなく、健康な体と、人を気遣うゆとりのある心を持ったまま息を引き取れるとするならば、どうしてその人物が惜しまれずにいようか。(三嶋輝夫訳)

 クセノポンは、「この人の知恵と高貴さを思うにつけ、どうしても私はかれのことを記録に残さずにはいられないし、また記録にとどめながら、ほめ称えずにもいられないのである」と書く。「死んで惜しまれよう」というソクラテスの目論見は成功したのだ。
 ソクラテス自身は一冊の本も書かなかったけれども、こんなふうにして「思慕の念を植え付け」られた友人や弟子が、ソクラテスの哲学や行動を大量に書きとどめることになった。そのおかげで、死後2400年を経た今も、ソクラテスはすべての哲学者の頂点に君臨している。「哲学者」と聞けば、誰もがまっさきに思い浮かべる名はソクラテス。そして彼の発言や行動が、哲学の典型のように思われている。
 これは、ソクラテスが人生最後に行った「捨て身のパフォーマンス」が実を結んだのだ、とも言えるだろう。

きっかけはお告げ

 プラトンの『ソクラテスの弁明』を開こう。そして、ソクラテスはどんな活動をして嫌われたのか、彼自身の説明を聞こう。
 まず、ことの始まりはこうだ。
 ある日、ソクラテスの友人が、都市国家デルポイにある神殿を訪れる。そのとき彼は、「ソクラテスより知恵がある人間はいない」というお告げを受ける。自分が親しく付き合っている人が「最高の知者」とされたのだから、これは嬉しいお告げだ。
 友人はソクラテスのもとへ行き、嬉々としてそのお告げを伝えたに違いない。しかしソクラテスは喜ぶどころか考え込んでしまった。
 「神のお告げを疑うわけにはいかないが、私がいちばん知恵があるはずはない。もっと知恵のある人はいる。大勢いる。彼らに合おう。彼らと話をして、まず、私以上の知者たちの存在を確認しよう。そうしたら、お告げに隠された深い意味がわかるかもしれない」
 いわば「お告げの反証」を求めて、ソクラテスは自他ともに「知者」と認める人々の扉を叩く(当時、「知者」と呼ばれたのは、政治家、職人、作家だという)。この人たちは、必ず、自分より知恵があるはずだと思って。
 ところが、何と言うことだろう。「お告げの反証」を求めていたというのに、逆に「お告げの正しさ」が確認されることになってしまった。「知者」と見られている人たちは、実際は誰ひとりとして、ソクラテス以上の知恵を持ってはいなかったのである。
 いや、問題は知識の量ではない。質だ。
 「『知者』たちは」とソクラテスは斬って捨てる、「本当に知るべきことを知らずにいる」と。

無知の知

 では、オマエはどうなんだ? と「知者」たちはソクラテスに問い返すだろう。ソクラテスよ、オマエは「本当に知るべきこと」を知っているというのか。
 ソクラテスは、おとぼけ屋で有名だ。平然と「私も知らない」と答えてみせる、「ただし私は『自分は知らない』ということを自覚している、その分だけ知恵があるとは言えるだろうな」と。

 「自分は知らない」と自覚しているかいないか。確かに、この差は大きい。無知を自覚している人は、これから知ろうとするだろう。きっと知るまで追い求める。その結果としてその人は無知ではなくなるかもしれない。その可能性がある。
 しかし、自覚していない人は知ろうともしないから、永遠に無知のままだ。無知から脱する可能性はゼロだ。

本当に知るべきこと

 いや、しかしソクラテスは、そんなふうに「知ったかぶりはいけない」「謙虚に学べ」と戒めているのではない。
 そもそも普通に考えれば、どの「知者」も立派な人たちだった。政治家は実務能力に長け、職人は見事に仕事をこなし、作家は巧みに言葉を操っている。みな、社会人として立派に活動し、地位を築いて暮らしているのだ。「知ったかぶり」なんかではない。いろいろなことを、実際よく知っていた。
 ところがソクラテスは、そのような現実的な知識には、少しも価値を認めないのである。ソクラテスは、ひたすら(彼言うところの)「本当に知るべきこと」にこだわる。それを求めているかいないかによって、人(の行動)の価値を判断する。「本当に知るべきこと」を求める人は良い。それを求めない人は駄目、と。ソクラテスがそれほどまでに価値を置く「本当に知るべきこと」とは、ではいったい何なのか?
 それは「徳」と言われる。徳とは当時のギリシアでは正義、勇気、節制、敬神などであるが、要するに「やるべきことを、やるべきように、やる」ことだ。
 そのためには、まず「やるべきこと」や「やるべきよう」を知らなければならない。しかしそれは、具体的にはソクラテスという「第一の知者」でさえ知らないのだという。
 この、人間は知らないが、知るよう努めるべきもののことを、後にプラトンは「イデア」と呼ぶ、と言いたい。

これぞボクシング!

 イデアとは何か。
 たとえば、とびぬけて素晴らしいボクシングの試合を見る。
 素晴らしい試合とは、1987年4月に行われた「マービン・ハグラー対シュガー・レイ・レナード」のような試合だ。舞台はラスベガス。技術、体力、精神、キャリア、どれをとっても史上最高レベルの選手ふたりが激突する、文字通りの頂上決戦だった。
 結果を言えば、この試合はKO決着ではなかった。一度のダウンシーンもなかった。いや、打ち合いさえろくになかった。
 しかし、何という試合だったろう!
 過去に観たすべてのボクシングの試合と引き換えにしても惜しくない、当時ブラウン管のテレビの前に正座して試合の行く末を見ていたぼくはそう思った。そして、こういう試合を観ると誰もが口にするであろう言葉を、やはりぼくも目に涙をためてつぶやいていた、「これぞボクシングだ」と。

イデアを知る時

 思わず口にした「これぞボクシング」という言葉。その「ボクシング」という語。これはいったい何を指しているのだろう?
 目に涙をたたえ、感動に声を震わせながら放った言葉だ。当然それには、遠く天を仰ぎ見るようして求める高い価値があるはずだ。だから、人々が持っているボクシングの「通念」などではありえない。自分がそれまでに見てきたボクシング全試合を足して割った「ボクシングの平均イメージ」でもない。もちろん、ボクシングのルールでも技術体系でも歴史でもない。
 そのときの「ボクシング」という言葉が指すもの、それは、ボクシングの「理想」である。もしも神さまが「理想のボクシング」を創造するとしたら、それはこんなふうだろう、というような。いや、もっと具体的に語れと言われても無理だ。説明できない。せいぜい「気配」「イメージ」「胸騒ぎ」として感じるしかない。
 ところが、「ハグラー対レナード戦」を見たときには、その「理想のボクシング」の姿が眼に見えた気がした。鮮烈な光に目を貫かれて、ぼくは自分が現にそれを見たことを知った。
 神々しく、美しいボクシング。身体の移動、拳の交換、その動作のひとつひとつが神々の聖なる戯れのようにも見える。そんな晴れやかでみずみずしく、どこまでも肯定的な試合があり得る……。

 これが「イデアを見ること」である、と言いたい。
 現実のもの(試合)を通じてイデア(この場合は「ボクシングのイデア」)を見る(知る)。そのときぼくらは深い感動を覚える。「ああ、これがそれだ」と、自分が何か大事なものを知ったことを自覚する。さらに、見ている当のもの(試合、さらにはボクシングという競技)だけでなく、自分や世界までもが肯定されているように感じる。

理想的な生き方

 また、たとえば、毎日いくつもの画廊へ足を運び、絵画を観るとしよう。もしかしたら、その多くはつまらない展覧会、パッとしない作品かもしれない。ところが数か月に一度、数年に一度、「これはすごい」と目を見張る作品に遭遇する。他の作品と比べて優れているというのではない。「絶対的にすごい」のだ。
 そんなとき「絵画ってすばらしいな」と思う。
 おかしなことだ。実際に眼にした作品のほとんどはつまらなかったというのに、その一点によって、「絵画」なるものが全肯定されてしまうのだから(まるで、それまでの「ハズレ」の経験も、それなりにみんなよかったと思い直しているかのように)。
 そうして、ぼくは、やけにうれしくなる。誰に向かってだかわからないが、「ありがとう!」と笑顔で言いたくなる。絵画だけでなく、ぼく自身も、この世界も、みんな肯定されてしまうのである。
 
 上の「絵画」という語は、他の芸術、スポーツ、仕事、趣味、何に置き換えてもいい。誰にでも、同様の経験があるはずだ。
 そのとき、「イデアをかいま見た」と言いたくなるだろう。直接見ることはできないイデアを、しかし、目の前の何かを通して知ったのだ、と。

 このイデアこそ「本当に知るべきこと」だとしよう。すると、「知る」とは、単に新たに知識を付け加えることではない。それは、ひとつの鮮烈な体験であるはずであり、自分と世界の肯定をもたらす感動が含まれているはずだ。さらにそれは、その後の自分の言動を方向づけてくれるはずである。

このような経験抜きに(つまり「絶対的にすごい」「イデアをかいま見た」と言いたくなるような経験なしに)何かを見聞きして知ったとしても、そんなものは、ソクラテスは本当の知識とは認めないだろう。本当に知っているとは認めてくれないだろう。

 現実に見る物事も振る舞いも、どれもイデアそのものではない。どうすればそこにイデアが見出されるのかも現れ出るのかもわからない。そういう意味では人はみな無知だ。
 しかし、そう自覚したうえで、無知に開き直るのではなく、あくまでも、イデアを求める姿勢をとれとソクラテスは言う。それを見るように、あるいは見せられるように、全力を尽くせ、と。それが、徳のある生き方なのであろう。

鬱陶しいぞ、ソクラテス

 確かに、誰も彼もがイデアを追求して活動するなら、それは素晴らしいことだろう。
 誰もが「これぞ消防士」「これぞ家具職人だ」等とうならせるような仕事を心がける。芸術家なら、「これが彫刻だ」「これが音楽だ」等と感動させる制作をする。
 なんて魅力的で活気のある社会だろう!

 しかし無理だ。そんなこと言われても……とぼくは下を向いてしまう。現実のぼくらは、古代ギリシアの哲学者ではない。定まらない日々を、せこせこと生きている。イデアを求めるより、まず目先の小さな利益を求める。理想なんて考える暇がない、とりあえず納期までに作業を完了させて次の仕事につなげるだけだ。そんなやりくりで今日をしのぎ、一年を耐え、たちまち十年が過ぎていく。
 そんなぼくらのもとへ、ソクラテスがやって来る。そして、オマエは無知だ、理想を追求しない、本当の仕事をしようとしない、と嫌みを言う。言い続ける。
 「ソクラテスとは、なんて鬱陶しい男だろう。どこかへ消えてくれないかな」とみんな思うだろう。
 ぼくも思う。

 だからソクラテスは訴えられ、有罪にされ、死ぬはめになったのである。プラトンは、次のようなソクラテスの言葉を記録している。

〔……〕皆さんは私〔ソクラテス〕の同国民であるにもかかわらず、私がいそしんでいる活動と言論に耐えることができず、その活動が皆さんにとっていささか重荷でもあれば厭わしいものともなった結果、それから今や解放されることを求めているのだ〔……〕(三嶋輝夫訳)

 ソクラテスに死刑判決を下したのは、2400年前のアテナイ市民ばかりではない。ぼくら自身が、日々、「うるさいソクラテスよ、消えてなくなれ」と死刑にしている。自分の心の内で、ソクラテスの首を絞めて、その声を聞こえなくしている。そうやって、理想など忘れた自分の生活を、なんとか否定しないで送ろうとしているのだ。

ソクラテス「への」弁明

 人はいつも、何かの力によって押し出されるようにして生きていく。
 人生の歯車の最初の1ミリの動きは、もしかしたら自分の意志によって動かしたのかもしれない。しかし、その動きは少しずつズレていく。見えないほどの微小なズレが、少しずつ狂いを生じさせて、気がつくと、取り返しがつかないほど大きくなっている。望んでなどいなかった不本意な運動に、いつのまにか変わっている。けれど、もう自分には方向を変えることも進行を止めることもできず、降りることもできない。ぼくらの人生は、そういうものではないか。
 他人はそれを「自業自得」と言うだろう。オマエが始めたことだ、オマエは好きこのんでそうしているのだと。
 そう言われれば、そうかもしれない。自分を顧みると、うなずいてしまう。
 いや、だが、しかし、違うのだ。
 こんな状況、誰が望んだりするものか。

 ソクラテスに言ってやりたい。
 あなたが批判する「知者」たちだって、ぼくらと同じように「仕方なかった」のだろう。彼らだって心の底では「本当に知るべきこと」、イデア、理想をきっと求めていたのだ。でも、諦めた。どうせ生活に追われてそんな方向へは進めないオレだ、できもしないことを語るのはみっともないから、理想なんて考えないことにしよう……心の中で恥じ、悔し涙をぬぐいながら、知者たちは無知のフリをして日々の営みに耐え続けたのかもしれないではないか。
 そんな彼らの気持ちを、一度でも想像したことがあるのか、ソクラテス?

ソクラテスの弁明

 ……とソクラテスに食って掛かって、彼自身と彼の言葉を自分の意識から追放してしまうに違いない。
 けれども、もしもそうしたら、その後で、やっぱりもう一度、ぼくはソクラテスと話をしたい、ソクラテスの言葉を聞きたいと思うだろう。きっとそうなる。せっかく鬱陶しいソクラテスを頭から追い払ってやったというのに、なぜだろう、すぐに彼が懐かしくなるのだ。
 ソクラテスをやっかい払いしたアテナイの市民たちも、すぐに後悔して、ぼく同様、ソクラテスと話をしたいと思ったはずだ。ソクラテスよ、黄泉の国から戻ってきてくれないか、と。
 
 そして、もしもソクラテスが(黄泉の国から)戻ってきたら、彼はきっとこう言うだろう。
 いや、誰もが押し出されるようにして生きていることは、ちゃんとわかっているんだよ。
 私だって、そうだ。
 同時代の戯曲に、私は滑稽な人物として描かれているんだ。これでは世間では軽んじられ、笑いものにされるはずだよ。不本意だけど仕方のないことさ。
 ところが人生最後のパフォーマンスが幸いして状況は一変した。そうだろ? これが成功しなければ、私は「滑稽な人物」のままだったろうね。私はこのとき法廷で、もしかしたら「哲学者」のイデアをかいま見せることができたのかもしれないな。だから、友人や弟子たちが多くの記録を残して、私の哲学をきちんと伝えてくれたのだろう。そうして、その結果、笑いものにされずにすんだ……。
 ほら、私だって決して思い通りに生きられたわけではないよ。いつだって綱渡りさ。だから、わかるんだ。誰もが不本意ながら、押し出されるようにして生きているというのは、そのとおりだと承知している。「知者」たちの心情だって、もちろん察しているよ。
 しかし、そのうえで、私はそれでも、イデアを見よ、体現せよ、理想を求めろと無理なことを言うのだ。鬱陶しいかもしれないけれど、何度でも繰り返し言うさ。
 だって、押し出されて行くだけで、キミは納得して生きていけるのかね? 理想を求めることもなく、それで本当に生き続けられるのかね?

おっしゃるとおりです、ソクラテス

 「いや、まったくです」と、まるでプラトンの「対話篇」の登場人物のように、ぼくは素直に答えるだろう。
 「おっしゃるとおりです、ソクラテス。理想なんて言っていられない、これが自分の精一杯だと、いつだっていくらだって言い訳はできるし、事実そのとおりなのだけれど、本当は、自分でも納得なんかできやしません。無理だろうと無茶だろうと、青臭くて現実味がなかろうと、ぼくらはろくに残ってもいない力を振り絞り、やっぱり理想を求めるしかないのです」と。

 

 


引用は下記の本に拠りました。
プラトン『ソクラテスの弁明・クリトン』三嶋輝夫・田中享英訳、講談社学術文庫、1998年
(プラトン「ソクラテスの弁明」三嶋輝夫訳、およびクセノポン「ソクラテスの弁明」三嶋輝夫訳は、この本に収録されています。)

 

 

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