OKA ATSUSHI archives

岡 敦 archives

カミュ『ペスト』を読む

筆者:岡 敦
題名:カミュ『ペスト』を読む(生きるための古典 4)
初出:「日経ビジネスオンライン」2009年7月21日


※本稿では、医療に関わる制度やその運用、政策などの問題は考慮していません。患者やその家族といった、個人レベルでの病気の受け止め方の話をしています。
※筆者は医療の専門家ではありません。医療に関する記述には誤りがあるかもしれません。筆者は医療に関わる判断には責任を負えません。


高い熱のあとに

 一歳の秋、ぼくは高熱を出した。
 診察した医師は風邪だと言った。
 実際、数日経つと熱は下がり、ぼくはすぐに起き出したそうだ。
 そのとき、三つ年上の活発な兄は、さっそく弟と遊ぼうとしたが、いつもと少し様子が違う。戯れふざける中で「バンザイしてみな」と命じても、弟は言うとおりにしないのだ。兄に反抗しているふうでもないのに、片手しか挙げない。
 何かおかしいと感づいた兄は、真顔になって母親を呼びに行った。
 そのときの母の驚きは、どれほどだったろう。
 すっかり回復したと思っていた次男の体に、得体のしれない変化が生じている。左腕がおかしい。ダラリと垂れ下がったまま、肩から指先までピクリとも動かない。
 再び医師が診察した。
 今度の診断は「ポリオ」だった。
 中学校の体育教師をしていた母は気丈で明るく、常に前向きな性格だ。しかし、医者に病名を告げられたときには、あまりの衝撃に腰が抜けて、しばらく立ち上がれなかったという。

ポリオという病

 ポリオ(急性灰白髄炎)は、ポリオウィルスによって引き起こされる感染症だ。子供がよくかかることから「小児麻痺〔まひ〕」とも言う。風邪のような症状が数日のあいだ続き、その後、身体の一部が動かなくなったりする。ウィルスが脊髄の神経細胞を冒し、大きなダメージを負った神経細胞が死んだのだ。神経は脳から筋肉への指令伝達ルートだから、神経細胞が死ねば、それが指令を伝えていた筋肉は、たとえ筋肉自体は健常であっても、もう動かないのである。
 脊髄のどこを冒されたかによって、機能を失う部位は異なる。足、腕、顔、等々。一か所だけの場合もあれば、複数個所の場合もある。半身の麻痺も、全身の麻痺もある。呼吸に関わる筋肉が動かなくなれば、息ができない。「鉄の肺」と呼ばれる人工呼吸装置が活躍したが、それでも多くの命が失われた。
 生き延びた場合、麻痺した身体は回復するだろうか。動かなくなった手は再び玩具をつかみ、立てなかった足はいつか歩きだすだろうか。
 それは人による。
 すぐに動くこともあれば、一生動かないこともある。麻痺の痕跡をまったくとどめない人もいれば、早くも人生を重い障碍とともに過ごすよう運命づけられた子供もいたのである。

マヒがおこるか、軽くてすむか、重くなるかは、いってみれば運がよいかわるいかの違いで、神のみぞ知ることだ、というのが実状であって、まことに残念としかいいようがない。(平山宗宏〔東大医学部小児科学教室/1960年当時〕『小児マヒ』岩波新書、1961年)

 ぼくのポリオは軽症だった。左腕の麻痺は入院治療とリハビリによって著しく改善された。今でも左の肩から肘までは極端に細く力が弱いけれど、肩で反動をつければどうにでも動かすことができるから、不自由はない。

親の自責の心理

 ポリオは残酷な病気だ。とくに、身体が麻痺した当の子供以上に、その親に対して酷い〔むごい〕仕打ちをする。
 
 子供が健康を損ねると、それがどんな病気であれ、親は自分の落ち度として受け止めがちだ。たとえ明らかに他者や外部に責任があったとしても、だ。
 ポリオの場合も、そうだ。目に見えないウィルスによって偶然その子が選ばれただけだが、症状が重いと、たとえば身体の機能が失われたりすると、親は自分自身を責める。
 あの日、外出を控えていれば……
 もしもプールに連れて行かなければ……
 次から次へと自分の「落ち度」が思い浮かぶだろう。しかし、どれも「後になって考えれば」の話だ。感染する前のその時点では、それは「失敗」ではなかったはずだ。
 人間は未来を予知できない。だから、常にある程度のリスクを負って生きるしかない。あらゆるリスクを排除したいのなら、家の外に出ることも、ベッドから出ることも禁じることになるが、その場合は過度のリスク排除策によって、避けるべき事柄以上に子供の人生を損ねてしまうだろう。
 ポリオワクチンの接種が実施されていなかった当時の日本では、子供は誰でも感染する可能性があった。全国的な流行となれば、どこにも逃げ場はない。個人レベルでどんな対策を立てようと防ぎようがなかった。
 親には責任などない。
 実際、親にしてもらった看病や援助に感謝こそすれ、不満を持っていたポリオ患者の声など、ぼくはいまだかつて聞いたことがない。

五十年間の沈黙

 それでも、ポリオの子を持つ親の中には、ずっと自分を責め続ける人がいる。そのような家庭の内では、食卓でも居間でも、ポリオが話題になることはない。子供は、自分の体が動かない原因について知りたいと思っていても、親の内面を敏感に察知するから、そういう話題は避けるのである。
 ポリオの国内最後の大流行から半世紀が経った。今やポリオ患者のほとんどは中高年だ。親を看取った人も多い。
 ある老いた母親は、子供が発症して以来、ポリオのことは一言も口にしなかったそうだ。ところが最期の床の中にあって、老母は、ポリオから守ってやれなかったことを子供に謝り、それから亡くなられたという。そんな思いを、五十年以上ものあいだ、黙って胸の内にしまっていたのだろうか。

デタラメな病気

 ポリオを防ぐ方策などなかった。どんな努力も無駄になった。かと思えば、対策しなくても感染しない子供もいたし、かかっても風邪症状ほどの軽症で済んだ子供もいた。ポリオにかかるもかからないも、麻痺するもしないも、個人のレベルでは、まったくの「偶然」でしかなかった。
 みんなとまったく同じ条件なのに、ある子供だけ、突然、「おまえはこれから、二度と歩けなくなる」などと宣告される。
 「なぜ、ぼくが?」と尋ねても、
 「いや……ただ何となく……」といった曖昧な答えが、遠くからかすかに聞こえてくるだけだ。その声もフェイドアウトして、終わりのほうはよく聞き取れない。いったい誰の声だったのか、その顔もぼやけて見えやしない。
 
 これで納得しろと言うのか?
 
 しろと言うのである。
 人間が生きる現実は、何とデタラメで残酷なのだろう。

カミュの不条理

 このような「現実のデタラメぶり」をじっと見つめ続けたフランス人作家がいる。アルベール・カミュだ。彼は、このデタラメのことを「不条理」と呼ぶ。
 1947年に出版された彼の代表的小説『ペスト』は次のような内容だ。
 アルジェリアの商業都市オランで、ある日突然ペストが発生する。市の門は封鎖される。中に残された人々は、愛する人から切り離され、手紙の交換も許されない。市民たちは外界を失い、未来の展望も持てなくなった。次に誰が死ぬのか、この状況はいつまで続くのか、見当もつかない。悲しんだり、怒ったり、苛酷な現実に直面して逃げようとしたり、あるいは、そんな考えを変えたりしながら、人々はペストに終わりのない戦いを挑み続ける。そして、果てしなく敗北を続ける。
 ところが、だ。その発生と同じように、ある日唐突にペストは終息するのである。いつかまた発生するだろうという不吉な予感を残して、物語は幕を下ろす。

 ペストがもたらす災いに理由などない。理由も目的も意味もないまま、たまたま彼が、あるいは自分が、死ぬ。納得のいく理由がないことに、つまり、デタラメであることに人々は怒る。あるいは打ちのめされる。ペストとは、人々が集団で「デタラメ」な現実に直面し、翻弄され、動揺する状況のことである。

挑み続ける人間

 小説『ペスト』のテーマは、しかし、「デタラメ」そのものではない。このデタラメとしか言いようのない世界の中で、われわれはどう生きるべきか? それがテーマだ。

 この小説には様々な人間が登場するが、作者が肯定的に描いているのは、ペストは退治できない、感染した人の命は救えない、自分たちは無力だと知りながら、それでもなお全力で戦い続ける人々の生き方である。
 たとえば主人公である医師リウーもその一人だ。彼は、彼自身の言葉では次のような人間だという。

自分の暮らしている世界にうんざりしながら、しかもなお人間同士に愛着をもち、そして自分に関する限り不正と譲歩をこばむ決意をした人間

 そんなリウーは、感染症に人々が苦しみ死んでいく、その無意味、デタラメに憤りながら、自棄に成ったり取り乱したりすることなく、毎日、できるかぎりの治療を試みる。彼はペストという難敵に、それがもたらすデタラメな死に、挑み続けるのである。

終わらない敗北

 ある日、リウーに向かって、友人タルーが問いかける。「神を信じてもいないのに、なぜ、そんなに献身的に取り組むのか」と。そのときリウーは、自分の気持ちを打ち明ける。

「結局……」と、医師は言葉を続け、そして、なおためらいながら、じいっとタルーの顔を見つめた。「これは、あなたのような人には理解できることではないかと思うのですがね、とにかく、この世の秩序が死の掟に支配されている以上は、おそらく神にとって、人々が自分を信じてくれないほうがいいかもしれないんです。そうしてあらんかぎりの力で死と戦ったほうがいいんです、神が黙している天上の世界に眼を向けたりしないで」
「なるほど」と、タルーはうなずいた。「いわれる意味はわかります。しかし、あなたの勝利は常に一時的なものですね。ただそれだけですよ」
リウーは暗い気持ちになったようであった。
「常にね、それは知っています。それだからって、戦いをやめる理由にはなりません」
「確かに、理由にはなりません。しかし、そうなると僕は考えてみたくなるんですがね、このペストがあなたにとって果たしてどういうものになるか」
「ええ、そうです」と、リウーはいった。「際限なく続く敗北です」(宮崎嶺雄訳)

 

 敗北。どこまでも続く敗北。実際、リウーの治療は、ほとんど実りがない。人々は次々に感染し、さんざん苦しんだあげくに死んでいく。
 では、リウーは無駄なことをする愚か者に過ぎないのだろうか。彼の行為には、ひとかけらの価値もないのだろうか。

 いや、価値はある……そうカミュは言おうとしている。
 世界の圧倒的なデタラメぶりに翻弄されること。それは実は感染症の蔓延にかぎらず、人間にとって普遍的な状況だ。それに直面して、自分の無力を了解しても、なお、できるかぎりの抵抗をするべきだ。何の実りもないかもしれない。しかし、それは人間の普遍的なテーマを明らかにし、それに挑んでいるのだから、普遍的価値を持つのである……。

残酷で優しい本

 『ペスト』は、読者を苛酷な運命に直面させ、気分を暗くする小説だろうか。
 一面では、そのとおりだ。
 感染症があろうとなかろうと、世界は、人生は、根本的にデタラメだ。
 われわれは意味もなく生まれ、突然、意味もなく死ぬ。
 いろいろな苦難にぶつかるけれど、それにも意味はない。ただ、おまえは運が悪かった、というだけだ。
 しかも、その苦難は去ったかと思えば、またすぐに現れる。
 どれほど抵抗しようと、それをあざ笑うように猛威をふるう。
 そうかと思えば、あっさり消えてしまったりする。
 さんざん苦しめたあげくに馬鹿にしているではないか。
 この残酷で訳のわからない日々の繰り返しが、われわれの人生だと小説『ペスト』は言う。
 つらく厳しい宣告だ。

 しかし『ペスト』には、また、別な面もある。

 世の中には、今、現に、デタラメな現実に直面し、苦しんでいる人がいる。「なぜ?」「どうしてこんなことに?」と止むことなく問いを発し、答えられないまま、自責を続ける人がいる。
 たとえば、はじめに書いた、子どもが病気になったのは自分の落ち度だと考える母親だ。その心情を想像すると、ありがたく、もったいないことだとも思う。
 だが、やはり、それはおかしい。間違っている。
 だって、あまりにも不当な仕打ちではないか。現実のデタラメに翻弄され苦しんだ人が、なぜ、そのうえさらに自分を責め続けなければいけないのか。

 そういう人々に対して、小説『ペスト』は優しく告げている。
 世界は、人生は、根本的にデタラメだ。理由などない。
 「なぜ」「どうして」と問うことをやめて、ただ、こういうものなのだと認めてほしい。
 ムリヤリ誰かを悪人にして、責めてはいけない。
 とくに、あなた自身を責めてはいけない。
 絶対に、あなたのせいではない。
 あなたは事態を改善しようと精一杯のことをした。
 それで十分。
 誰であっても、「精一杯」以上のことはできないのだ……と。

讃えるために

 『ペスト』は、登場人物が書いた「手記」という体裁をとっている。では、その手記は、いったい何のために書かれたのだろうか。物語の最後に、手記の執筆者はその目的を次のように記している。

黙して語らぬ人々の仲間にはいらぬために、これらペストに襲われた人々に有利な証言を行うために、彼らに対して行われた非道と暴虐の、せめて思い出だけでも残しておくために、そして、天災のさなかで教えられること、すなわち人間のなかには軽蔑すべきものよりも賛美するべきもののほうが多くあるということを、ただそうであるとだけいうために。(宮崎嶺雄訳)

 デタラメで残酷な現実の波にのまれて、ぼくたちは、それぞれの力量の範囲で、ただ、できるかぎりのことをするしかないのだろう。それでも、たとえ全力を尽くしたとしても、きっと情けないほどちっぽけで、弱く、はかないことしかできないだろう。いや、そんなわずかの成果さえも得られないかもしれない。
 けれども、たとえ失敗しても、実りがなくても――あるいは、おたがいが何をやっているのか理解できずに対立することがあったとしても――それでも最後には、この過酷な現実をよく生きたね、と認め合いたい。がんばったなあ、と讃え合いたい。

 ぼくたちには、きっと、その程度のことしかできないのだろう。
 しかし、そんなにも素晴らしいことができるのである。

 

 


ポリオについての引用は下記の本に拠りました。
平山宗宏『小児マヒ』岩波新書、1961年

『ペスト』の引用は下記の本に拠りました。
アルベール・カミュ『ペスト』宮崎嶺雄訳、新潮文庫、1969年

 

 

(C) 2022 OKA ATSUSHI