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パスカル『パンセ』を読む

筆者:岡 敦
題名:パスカル『パンセ』を読む(生きるための古典 11)
初出:「日経ビジネスオンライン」2010年11月16日

 

L字型の袋小路

 幼い頃、ぼくは都内の小さな路地で暮らしていた。両側に民家が並ぶ、「L」字型に曲がった袋小路だ。ここに車は入ってこない。住民以外の人間が足を踏み入れることもない。逆に、小さな子供は一人で路地の外には出ない。つまり、路地は外界から隔絶された安全な遊び場であり、いわば、ぼくら子供の小宇宙だった。

 
 路地には、赤ん坊から小学生まで大勢の子供がいた。
 Mちゃん、Eちゃん、Tちゃん、そうそうHちゃんもいたっけ……。
 遠くへ越して行った子もいれば新たに生まれて仲間入りする子もいて、いったい何人の子供が暮らしていたのか、今となってはよく思い出せない。
 
 ぼくたち路地の子供は、いつもいっしょに遊んでいた。
 場所や時間の約束なんてない。遊びたくなったら靴を履いて路地に立つ。すると、続いて誰かが、すぐに現れる。
 真夏の水遊びや花火、真冬の押しくらまんじゅう、鬼ごっこや隠れんぼはもちろん、名称もないその場かぎりの遊びを発明しては夢中で遊んだ。ガラスを割ったりボヤを出したり、当然、ケンカや仲直りもあった。
 ぼくの幼児期、あの甘く香しい季節の、形の定まらない思い出は、どれもこれもL字型の小さな袋小路の中に詰められている。

雪の日の思い出

 路地の子供たちの中で、ぼくが他の子と違っていたのは、病弱だったことだ。ポリオが大流行したときに発症したのもぼくだけ。喘息になったのもぼくだけだった。
 
 ある雪の日、驚喜した子供たちが路地を駆け回って遊んでいるときも、ぼくはひとり、家の小さな部屋にいて、みんなのはしゃぎ声を聞きながら、ガラス窓越しに灰色の空を見上げていた。外へ出て遊びたかったけれど、その日は喘息の症状が思わしくなく、母に厳しく止められていたのだ。
 空は薄暗く、いつまでもいつまでも、単調に雪を降らせ続けていた……そのとき何があったわけではないけれど、つまらない気分と、息苦しさと、やまない雪がひとつに混じり合って、この情景は今も記憶に残る。
 これは何歳のことだったのだろう。

話せない大発見

 年齢を覚えている記憶もある。
 これは五歳だ。
 晴れた日、少しオレンジがかった空気の色は、晩秋の午後の日差しのせいだろう。
 ぼくは路地の風景の中にいる。夏は金魚を売り、冬は焼き芋を売るOさん所有のリヤカーが置いてある。そのそばに当時八歳の兄がいて、もちろん路地の子供たちもいる。
 何をして遊んでいる最中だったろう、ふと、こんな考えが頭に浮かんだ。
 
 「ぼくは昨日のことを覚えている。
 一年前のことも覚えている。
 二年前のことも覚えている。
 三年前のことも覚えている。
 四年前のことも覚えている。
 五年前のことも覚えている。
 じゃあ、六年前のことは……?」
 
 そこまで考えると、突然、何と言っていいのかわからない不思議な気分に襲われた。「どこまでも時間が続いている」とか「自分がいない世界がある」とか、そういうことに気づいたに違いないが、そのときは、そうは理解していない。ただ、何かしらとんでもないことを発見して、びっくりしたのだ。
 しかし、それがどういうことなのか、自分でもわからない。
 突然、大きな音で目を覚ましたものの、何の音なのか見当がつかずベッドの上で不安を感じている人みたいに、ぼくは落ち着かなくなった。
 
 そばにいる兄に話しかけて、この「発見」を教えようとした。
 しかし話が長過ぎたのだろう。ぼくが「三年前のことも覚えている、四年前のことも……」と言いかけたとき、兄は「馬鹿だな、おまえが四年前のことを覚えているわけないだろ」とぼくの言葉をさえぎった、「一歳だったんだぞ。何か覚えているんだったら、言ってみろよ」。
 
 ぼくは幼過ぎて、「仮に」や「たとえば」といった言葉を使えなかった。「とにかく最後まで聞いてくれ」なんてセリフはもちろん頭に浮かばない。兄に言い返すこともできず、それどころか、この「発見」についてどう考えたらいいのか自分でもわからなくなって、ぼくは黙り込んだ。
 
 発見の驚きと黙ってしまった悔しさ、ともに強烈だったせいか、この出来事はそれから何度も思い出して、そのたびに不思議に混乱した気分になった。たぶんそうやって繰り返し「復習」していたおかげで、今でも覚えているのだろう。

パスカルの仕事

 ブレーズ・パスカル(1623年生―1662年没、)は、そんな「子供の大発見」ではなく、本物の大発見・大発明を連発した17世紀フランスの天才的な数学者、物理学者、哲学者だ。

 たとえば数学においては「パスカルの定理」、物理学においては「パスカルの原理」を発見した(残念だけれど、ぼくはどちらもきちんと説明できそうにない)。ぼくらが台風のニュースで耳にする「ヘクトパスカル」も、彼の名に由来する単位名だ。
 父親の仕事を手助けしようと、世界ではじめて計算機を開発したのも19歳のパスカルなら、定時に決まったコースを走り誰でも安い値段で乗ることができる「乗合馬車」、つまり今のバスの原型を考案して実際に事業化したのだってパスカルなのである(ちなみに、その利益は慈善病院へ寄付されていた。パリ市内で始めたこの事業は好調で、他の市や外国に拡張する計画もあったという)。
 病弱ゆえに39歳で亡くなったが、そうでなければパスカルは、いったいどれほど多彩な仕事を成し遂げていただろう。

困難な全体把握

 パスカルの最後の仕事である『パンセ』という本の執筆は、早過ぎた死ゆえに未完に終わった。
 この本は、執筆意図からすれば、ジャンセニスム(というキリスト教信仰の一つの在り方)の正当性を主張したり、無信仰者に信仰を勧めたりする、いわゆる護教論として書かれた文章だ。形式を見れば何百もの断片的な文章の集積で、繰り返しも多く、意味不明の個所もある。内容と形式どちらからしても、読めばたちどころに理解できるという本ではない。
 ぼくが『パンセ』を最初に手に取ったのは、たぶん高校一年の頃だ。最後まで読み通しはした。しかし、長い時間、ずっとパラパラ立ち読みをしていたような読後感だった。『パンセ』の断片性のために、そしてそれ以上に読み手(つまり、ぼく)の未熟さのために、「この本は、およそこういう本だ」という、全体のイメージを持つことさえ難しかった。

宇宙の中の迷子

 ただ、きっと多くの人がぼくと同じだと思うけれど、その頃のぼくは次のような文章に対してだけは、強い共感を覚えた。

 人間の盲目と悲惨とを見、沈黙している全宇宙をながめるとき、人間がなんの光もなく、ひとり置き去りにされ、宇宙のこの一隅にさまよっているかのように、だれが自分をそこにおいたか、何をしにそこへ来たか、死んだらどうなるかをも知らず、あらゆる認識を奪われているのを見るとき、私は、眠っているあいだに荒れ果てた恐ろしい島につれてこられ、さめてみると〔自分がどこにいるのか〕わからず、そこからのがれ出る手段も知らない人のような恐怖におそわれる。(前田陽一・由木康訳)

 無限の宇宙と永遠の時間の中にあって、弱々しく、不安で、頼りなく惨めな人間。広大な世界の真ん中にたたずんで、自分が何ものか見当もつかずにいる。おそらく誰もが、少なくとも若いころには、必ず我が事として感じる「あてのなさ」だろう。
 パスカルは、それこそが(若者にとって、ではなく)人間にとっての基本的な現実であると見なす。そして、その現実を見つめることこそ、人が神を求める入り口になると考える。
 だからパスカルは、この「あてのない感じ」を重視し、繰り返し描写する。とくに知られているのが、あの有名な「考える葦」の一節だ。

 人間はひとくきの葦〔あし〕にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。〔略〕彼をおしつぶすために、宇宙全体が武装するには及ばない。蒸気や一滴の水でも彼を殺すのに十分である。(前田陽一・由木康訳)

 人間は、まるで水辺に生える葦のようだ。乾いた固い地面にしっかりと立つことすらできず、ほんのちょっとの外部環境の変化ですぐに倒れてしまう。
 あまりにも弱い。自分でも頼りない、ひどく惨めだと思う。

人間は考える葦

 しかし、それだけではない。
 人間は惨めなだけでなく偉大でもある、とパスカルは続ける。
 なぜか?
 「考えることができるから」がパスカルの答えだ。

 だが、それは考える葦である。〔略〕たとい宇宙が彼をおしつぶしても、人間は彼を殺すものより尊いだろう。なぜなら、彼は自分が死ぬことと、宇宙の自分に対する優勢とを知っているからである。宇宙は何も知らない。
 だから、われわれの尊厳のすべては、考えることのなかにある。(前田陽一・由木康訳)

 「考える葦」という比喩はわかる。
 しかし、なぜ「考える」ことが偉いのだ?
 
 ここでパスカルは「人間は言語を用いて思考するから動物より偉い」と言っているのではない。
 なにしろ彼は『パンセ』の他の部分で人間の思考力の限界、理解力の限界を繰り返し主張しているのだ。
 だから、この場合の「考える」とは、「論理的に把握する」という意味ではない。「理解する」「自然の法則を科学的に解き明かせる」という意味ではありえない。それでは、どういう意味か。
 
 上の引用文に「自分が死ぬことと、宇宙の自分に対する優勢とを知っている」とあるように、この「考える」とは、多分に感覚的で感情的な意識の働きのことだ。他の断片と合わせて読むと、ぼくには「考える」というよりは「認識する」「見て取る」という意味に近いように思われた。
 では、改めて問おう。
 「自分の弱さを見て取ること」を、パスカルはなぜ偉大だと言うのだろうか?

清々しい敗北感

 スポーツ、たとえばボクシングの、十年に一度あるかないかの名勝負を観る。
 選手の天賦の才、勇気や気高さ、精進のしるしを見て、ぼくたちファンは大きな感動を覚える。
 「なんていい試合なんだ。そして、なんて素晴らしい選手たちなんだ!」と賛嘆する。
 さらに、「それにひきかえ、ぼくはダメなやつだ」と声に出して言いこそしないが、自分を否定的に感じたりする。
 こうして圧倒的なものに触れ、それを偉大と認めるとき、同時に自分の卑小さ、惨めさを知る。
 「選手たちに負けた、ぼくは勝てない」と、ボクサーでもないくせに、ぼくは思う。競技者としてではなく人間として、自分は劣ると思わされるのだ。
 しかしそれは、清々しく充実した敗北感である。納得のいく惨めさである。そのとき、惨めさの中で、惨めな自分の対極にある偉大さに触れ、そして、その偉大さに包まれるという、素晴らしい体験をしているのである。

偉大を見て取る

 「考える葦」も同じだ。
 
 圧倒的で、何も語ることのない、沈黙する宇宙。
 そこにおいて、葦のように頼りなく、無意味と無価値に脅かされる、弱々しい迷子の人間。
 自然を前にして、無限を見て取り、畏れおののく。
 無限の宇宙に対して敬虔な想いを抱く。
 ぼくらは確かに惨めだ。
 しかし、いわば自分の惨めさと引き換えにして、その対極の無限なもの、偉大なもの、圧倒的なもの、絶対的なものを感じとっているではないか。
 つまり、惨めさの自覚は、宇宙や自然の偉大さを見て取ることと不可分一体だ。
 その条件だ。
 あるいは、偉大さを見て取った証拠だ。
 そして、それは、自分もまた偉大さに包まれる体験、生を肯定する素晴らしい体験をもたらす。
 そんな体験ができるのだから、人間もまた偉大なのである。

 人間の偉大さは、人間が自分の惨めさなことを知っている点で偉大である。樹木は自分の惨めなことを知らない。
 だから、自分の惨めなことを知るのは惨めであることであるが、人間が惨めであることを知るのは、偉大なことなのである。(前田陽一・由木康訳)

 パスカルは、そんなふうに言っている。
 
 高校生のぼくが『パンセ』から読み取ったのは以上のような「考える葦」という言葉の意味、つまり「自分の惨めさの自覚と、それゆえの偉大さの感受」がすべてだった。
 『パンセ』の総量と多彩な内容を考えると、あまりにもわずかしか読み取れていない。自分でも「『パンセ』を読んだ」という気はしなかった。
 しかし、ぼくにとっては、ここで得た思考(「惨め」と「偉大」の弁証法)は決定的に重要であったし、それは今もなお、重要であり続けているのである。

季節外れの収穫

 最後に、どうでもいいことを書く。
 
 高校時代に『パンセ』を読んだとき、よかったことが、もうひとつあったのだ。
 『パンセ』の中に、次のような断片があった。これは、内容的には「葦」と同じく、人間存在の頼りなさを表現した文章だ。

 私の一生の短い期間が、その前と後との永遠のなかに〈一日で過ぎて行く客の思い出〉のように呑み込まれ、私の占めているところばかりか、私の見るかぎりのところでも小さなこの空間が、私の知らない、そして私を知らない無限に広い空間のなかに沈められているのを考えめぐらすと、私があそこでなくてここにいることに恐れと驚きとを感じる。(前田陽一・由木康訳)

 『パンセ』を読んでいてこの一節に出会ったとき、厳粛な内容にもかかわらず、ぼくは嬉しくて笑い出しそうになった。

再び秋の路地へ

 そこには、自分の生きた時間は、永遠の中にあって、その前後に無限の時間が横たわっている、と書いてある。
 それは、五歳のぼくの「発見」と同じ感覚だ!
 
 もちろん路地裏のありきたりの子供の「発見」と比べては、天才パスカルに失礼すぎる。まるで、憧れのスポーツ選手が試合で履く競技用シューズと自分が通学時に履くスニーカーのメーカーが同じである、と気づいて大喜びする男の子のようだ。
 そうわかってはいるが、それでもやっぱり嬉しかった。
 
 「五歳のぼくが六年前の記憶を探るときに味わう感覚」、あのときは兄に鼻で笑われてぼくは黙ってしまったけれど、それはやっぱり言うに値する「発見」だったのだ。なにしろパスカルだって、わざわざ本に書いているぐらいなんだから!
 
 あまりにも遅すぎる、勝利の気分。高校生になってから、幼稚園時代のいじめっ子を見つけて、やっと一発、お返ししてやったみたいだ。
 ぼくは心の中で、あの明るい秋の陽が差す路地の風景の中へ戻る。そして、八歳の兄の前に立って、小さな胸を張る。
 
 えへん!

 



引用は下記の本に拠りました。
パスカル『パンセ』前田陽一・由木康訳、中公文庫、1973年

 

 


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